子どもの心を中心に、からだの面にも目を向けるような診療を心がけています。
女性ならではの、お母さんの目線に近づけるようなお話しができればよいな…と思っています。
日々の診療で思うこと、日常生活の中で感じることなどをつづっています。
最近は、どちらかというと、
普段会えない友人達へのメッセージがわりとなっているようにも思います。
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体の調子について(改善してました!)
昨年秋に突如、私を襲った病気ですが、
今日、6週間ぶりに病院を受診し、レントゲンと血液検査、そして診察を受けてきました。
結果は、主治医の先生に「予想以上によくなっているね〜」と言って頂き、ほっとしました。
というのも、胸痛があって、先生曰く「心地よい痛みが回復期の痛み」とのことでしたが、ふだんは痛みがなく、くしゃみをしたり、冷え込んだときのちょっとした動きで、
「痛みが走る」という感じで、はたしてこれが心地よい痛みなのだろうか…と思っていました。
また、週末になると疲れか、風邪か、ちょっとだけ微熱傾向になってました。
(はっきりとした風邪症状もあったし、花粉症の症状もありましたから。)
とはいえ、全体の調子は上向きでしたので、「大丈夫、きっとよくなっている」と
言い聞かせての受診だったので、結果が出るまではどきどきしていました。

6週間もの間、病院を受診せずに済んだことも、嬉しいことです。
検査結果もよかったので、最後の1ヶ月分のお薬を貰い、次の受診はなんと8月!
副作用チェックのための眼科受診も、本日をもって終了となりました。

まずは一安心、です。
さすがに落ちた体力は、回復途上のため、無理せずに、体をいたわりながら、
仕事を続けていきたいと思います。

帰りの電車の中、半年前のことを思いだしていました。
入院した病室で、夜になると寂しくて、孤独感いっぱいで、不安でねー。。
でも、「医者だからしっかりと受け止めないとはずかしい」と思い、優等生の顔を必死に作ってました。
でも、強くないんですよね、わかっていたけれど。
それを気がつかせてくれたのは、大切な友人だったり、先輩達だったり…。

周囲の人達の温かい励ましがなければ、もっと沈み込んでいたことでしょう。
「治る病気だから、焦らないで」
私が最初に救われた言葉でした。
そして、何度も「焦るな〜」という言葉を貰いました。

病気は私に何を伝えたかったのだろう…と、ずっと思ってきました。
それは「人間は万能ではない」ということ、なのかな…と思います。
今の自分を認めること、それから始めていかないと、自分がかわいそうだ、と
数年前に気がつきましたが、心の底からは理解していなかったように思います。

自分が出来る最大限の努力をしたら、そのことだけで、まずは自分を誉めていこう。
結果は、今出るのか、後で出るのか、それはわからないけれど、
必ず出るのだから。

そんなことを、感謝と共に、ここを読んでくれた人々に贈ります。
有り難うございます!
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説明を納得できれば…。
先日、ちょっとびっくりしたことがありました。

学校給食の話です。
私が子どもの頃は、月初めに毎日の学校給食のメニューが書かれたプリントが
家庭へ配られていました。
そのため、給食嫌いの私は、数少ない「好きなメニュー」を探し出して、
その日を心待ちにしていました。

最近は、これだけでは足りずに、
更に詳しく、それぞれの使われている食材名も記したプリントも配られるのだそうです。

食事アレルギーを考慮した考えなのだそうです。

更に、親が求めてくる場合があるから…と、
学校側が準備している書類として、
それぞれの食材がどれくらいの量使用されているかがわかるもの、
更には、使用された調味料とその濃度が記載されているものまで、あるそうです。

食事アレルギー、特に即時型のアレルギーは確かに怖いです。
けれど、診断がついている時点で、除去されている場合が多く、子ども自身が避ける術を覚えています。
問題は、検査数値で陽性と出ていて、漫然と食事制限が続けられている場合。
こちらの方が、親の不安は強く、細かいことにこだわる傾向があるような気がします。
話によると、前述のような内容だけでも満足できず、
例えば「砂糖の種類」「コショウの種類」などの開示を求めてくるのだそうです。

先ほどのプリントの存在についてコメントを求められました。

私の答えは、「自分自身が作る食事に何%のコショウかわからないのに、この必要性がわからない」でした。

家庭での食事で、コショウの使用量って、レシピ上ほとんど「少々」と書かれていますが、「%表示」はされていません。
自分が作るもののことは知らないで、給食だけを知る必要って、何でしょう?

根本的に解決しないといけないことは、別にあるのでは、と思います。

親の不安、何に対する親の不安なのか、
そして、どのような説明をすれば、その不安が解消されるのか?

求められたものを全て開示したから、問題が解決するものではありません。
きっと逆に不安は高まり、もっと細かい資料を要求するのでしょう。

親がすべき事は何か、そのサポートを一緒に考えたり、
他の関係機関と連絡を取り合うことの方が、もっと大切なことだと思うのですが、
みなさん、どう思われますか?
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失敗と書いて、なんて読むのでしょうか?
先日、とても良い言葉を教えて貰いました。

「失敗と書いて、『けいけん』と読むんだよ」

発達障害と呼ばれる子どもさん、
言い換えると、「育てにくい」子どもさんです。
また、このような診断がつかなくても、今の世の中、子育てが難しいと感じるのではないですか?
(というか、「子育てって難しいもの」なのだと私は思っています。)

誰もが出来ることだから、簡単、というわけではないのです。

話を戻します。

「誉めて子どもを育てましょう」と、よく私たちはアドバイスをします。
けれど、なかなか子どもを誉めるというのは、簡単なことではありません。
世の中、子どもにとっては危険なものだらけ。
けがや病気をしたら、「親が悪い」と言われかれない世の中でもあります。
(本当はそんなこと全然ないはずなのですが。
というのも、どれだけ予防策を立てたとしても、それ以上のことが起こってしまう場合もありますから。しないよりは、した方がまし、くらいに思いたいですね。)

子どもの良いところって、実はいっぱいあるのですが、
どうも悪いところばっかり目について、気がつけばしかってばかり。
そんな悩みをよく聞きます。
そして、「誉めたいのに、気がつくと叱っています」とも。

診察室でそのようなお話しを聞くと、
もともと「叱ること」が習慣化してしまったのは、「育てにくさを持って生まれてきてしまったこと」で、それは親にも、ましては子どもにも責任はありません。
習慣って、なかなか変えずらいものです。
でも、こうやって相談しに来られた、ということは、
お母さんに「変えたい」という思いがあってのこと。
だから、最初から完璧を目指さないで。まずは、やれることから始めてみましょう。
「叱ってしまっても自分を責めすぎない」

失敗と書いて、けいけんと呼びます。
経験したら、次はどんな工夫ができるのか、考えてみてください。
そして、次に繋がれば、それでよいのです。

少しずつ出来るようになっていけば、それでよいのです。
親として、完璧になることを目指したり、焦ったりしないでくださいね、と。

やろうとする気持ちを持つ、まずはそれが大切なのです。
そして、少しでも行動しようとしたこと、そのこと自体を自分で評価してみましょうね。

この「自分で」というのが、一番難しいけれど、一番大切なことなのだと思います。

こんなことを書いていますが、私もまだまだ試行錯誤の中にいます。
でも、少しずつ出来るようになってきたかな、自分を誉めるということが、ね。

自分を誉められるようになると、周囲に守られていることをより強く実感し、
周囲への感謝の気持ちを持ち続けられます。
それは、関わりの大きさに関係なく、のように思います。

もしかしたら、嫌いとか、苦手とか、そんな風に思っている人へも、
そのような感謝の気持ちがもてるようになるのでは…と思っています。

だってね、出会う人全てが、その人にとって意味のある人であり、
起こること全てが、その人にとって意味があること、なのですから。

それは良いことも、悪いことも、ですね。

病気の体験をして、私なりに出した結論です。
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運が良いですか?と聞かれたら
私の友人で、とある専門職で起業している子がいます。(30代男性)
彼が、数年前に私に言った言葉が印象的でした。
それは、
「俺は、人を雇うときに、必ず聞くことがあるんだ。
それはね、『君は自分のことを運がいい人間だと思うか?』ということ。
そして、それに『はい』と答えた人を雇いたいんだ。」と。

数年前に初めてそのことを聞いたとき、
なんとなくは納得できたけれど、自分に対する自信がなく、
もし突然そんなこと聞かれたら、迷いながらも「いいえ」と答えてしまうと考えていた私は、はたして面接の場で、「はい」と答える人はいるのだろうか…と、思っていました。

それから数年間の間、さらにいろいろとあり、
彼の言わんとする意味が、やっとわかってきたような気がします。

例えば、日常のちょっとしたことを運がよいととるか、単なる偶然ととるか、
など、自分に起こったことをどうとらえるかは、その人の持っている価値観次第。
ただ意外とちょっとしたことを(半ば無理矢理にでも)、「運が良かった〜」「ついている〜」と思っていると、なんかこころがうきうきワクワクします。
すると、日々過ごしていると、運がよいと感じることが、ごろごろあるのです。

考えてみれば、世界中で日本という国に生まれたこと、そのことが既に運がよいと
考えることができますよね。
やっぱり平和だし、食べるもの、寝る場所などの心配をする必要はありません。

私自身も、ついつい他人と比べてしまうので、「あっちの方が得している」とか
「努力しているのに報われない」とか、随分長い間ネガティブ思考でした。
もったいないなあと思います。
言霊の大切さを実感してからは、なおさら。

例えば、秋からの私の病気と、母親の病気。
二人暮らしの現状からすると、端から見るとついつい「大変なこと」と捉えがちですが、
実は、療養させてもらったおかげで、普段より余裕をもって事に対応することができ、
また弱っていたこともあり、比較的素直に、人の好意を受けることができ、
お互い様の精神、というのでしょうか、人に頼ることは悪いことではなく、
自分の状況が好転すれば、お返しすればよいのだから…と身をもって感じ入ることができました。

だから、今は障害を持つ子供さんを育てているママさん達には、
そんな話を実感を持ってお話しすることができます。

振り返ってみて、自分の人生は運が良かったか…と聞かれたら、
今の私は、「運が良かった」と答えることができるようになりました。
いろいろと苦労したこともあります。上層部とけんかしたこともあります。(笑)
心因性の病気をいくつか発症するほど、ストレス過多になったこともあります。

けれど、周囲の人々に話を聞いて貰ったり、自分ができることを一生懸命考えてトライしたりしている中で、その状況じゃないと学べなかったことも多いし、
苦労したからこそ、自分にしっかりと身についたこともあります。

長い目で見ることが必要ですね。
そうすると、道は繋がっているし、やっぱり少しずつですが、
確実に成長していると思えることもあります。

自分に対しても、他人(例えば家族や友人達)に対しても、
そんな気持ちがもてるようになれば、きっとより良い人間関係がつながると思うのです。

たくさんの人が、「自分は運がよい」と言えるようになって欲しいな〜と思います。
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チャンスはピンチの顔してやってくる
先日読んで、かなり影響を受けた本に書いてありました。

実は、外来で関わっていると、親の気持ち、なのでしょうね。
いかにして、子どもに苦労させないか…という話をよく聞きます。
苦労せずして、成長したいというのは、ちょっと虫の良い話だと思うのですが、
できれば自分がした苦労は、後から来るものにはさせたくないというのも、
悪い考えではないとは思うのですが…。

あえて苦労をさせる必要はありませんが、
乗り越えることで学ぶことも多いのだ、ということを教えるのも、親の役目だと思います。

今まで、私自身もどちらかというと、
ピンチになると、「どうして私だけ」と超ネガティブモードになっていましたが、(笑)
今回、自分の状況を捉え治してみて、
ピンチは成長するために、必要なものなんだな…と感じました。
どう乗り越えるのか、自分だけの力ではなく、
いかに人に頼って、そのことにきちんと感謝して、
次へ生かしていけるのか、そこまで見越して、親は子どもと関わる必要があるのです。

すると、意外と親が予想しているよりも、簡単に乗り越えてみたり、
親が考えていたのとは違った方法をとってみたり、
それは、親が考えているよりは、時間がかかったり、苦労したりするかもしれませんが、
自分で考えて、悩んで、選択した方法であれば、
結果はどうあれ、何かしらのものを得ているものです。
それが、自分の希望通りであれば、よりハッピーである、ということになります。

こう考えると、子育てって、やっぱり面白い、楽しいものだと感じてほしいですね。
それ以外では、なかなか感じ得ないものかも。

そのうち、親子関係は逆転しちゃうかもしれないけれど、
それでもやっぱり、親は親、子は子なのでしょうね〜。
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