子どもの心を中心に、からだの面にも目を向けるような診療を心がけています。
女性ならではの、お母さんの目線に近づけるようなお話しができればよいな…と思っています。
日々の診療で思うこと、日常生活の中で感じることなどをつづっています。
最近は、どちらかというと、
普段会えない友人達へのメッセージがわりとなっているようにも思います。
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病気を克服したと感じさせるには…。
少し前に、見聞きしたことが気になるってことありませんか?

小児期にがんの治療を行い、現在社会復帰をはたされている思春期以降の方々へのアンケート結果を見る機会がありました。

このような方々を「survivors」と、英語では表します。
これを日本語に訳するときに、何が妥当かを協議しています。
候補に挙がったのは、「経験者」と「克服者」。
「生存者」というのもあるのですが、ご本人の方々も目にする言葉なので、ちょっときついかな、と思いはずしました。
どちらがよいか、それとももっと適当と思われる言葉があるのか、というのが、その質問でした。
答えはさまざまだったのです。
その中で、私がひっかかった答えがありました。
その方の答えは「経験者」。理由は、「がんを経験したけれど、克服はしていないから」というもの、でした。

子どもの頃に、がんに罹る(痛い検査を何度もされ、長期間入院したり、外来に通うこと)という経験をしたこと、そのこと自体が、日常ではなかなか体験できないことです。
そして、そのイヤなことばかりの体験を経て、(もちろん良いこともあるのでしょうが)治療を終了し、定期の外来通院も、年に1回などと少なくなった状態にある現在である自分に対して、「克服していない」と感じさせちゃってよいのだろうか…ということなのです。

「がんばって不味い薬を飲んだ」「がんばって痛い検査を受けた」などなど、
「がんばった経験」が満載のはずです。
その「がんばった自分」に「よくやった」と声をかけることができない、そんな状況作っちゃいけないのです。

これは、医療者の責任ではないか、と私は感じています。
親に責任を押しつけてはいけないとも。親に責任をおしつけられるのは、ちゃんとその当時に親の不安を取る、という視点を持った医療者だけだと思っています。

自分自身が、主治医であった時代を思い返すと、こういう視点を持ち続けられたのか、
不安になることもあります。
ただ、小さい頃、歯科矯正治療で随分と痛い思いをしてきた経験があったので、
そんな気持ちに子どもをさせないような対応を、忙しい中でも取り入れるようにしてきたつもりです。

ポイントをしぼる必要はないのです。薬を飲みたがらないこどもたちを目の前にしたとき、痛い検査に泣き叫ぶこどもたちを押さえつけているとき、
それが終わった後に「痛かったのに、よくがんばったね」「不味かったのに、よくがんばったね」という声をかけることを忘れないでほしい。

そして、大人になったときに、その経験に胸を張って、その経験をしたからこそ今の自分がある、と思えるように、子どもの成長を考えるという視点をもって子どもたちと関わってほしい、そう思います。

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